こんにちは!

【フリースクール流山 こんなところ】と題して、場所・人・ことの紹介をしていきます。

②はスタッフ編です。

フリースクール流山のスタッフは二人が不登校経験者。その体験談をご紹介します。

はらの(はらちゃん)は、小学4年生から不登校でお家を中心に育ちました。ご覧ください。

はらちゃん 30代

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①不登校になって
私が不登校になったのは、小学4年生の夏休み明けからでした。

3年生くらいから、親や先生の期待に必要以上に応えよう、まじめでいなければと思うようになりました。
掃除をさぼったり、ちょっとしたイタズラをするのも、クラスメイトはよくしていましたが、私はできませんでした。

また漢字の書き取り宿題も、チラシの裏に練習をして、きれいに書けるようになってからノートに書いていました。完璧にしなければならないと思い込んでいました。

そして、あまりに真面目でいると、クラスメイトから陰口を言われるようになり、次第に孤立していきました。
そして、4年生の夏休みが明けてからは、朝起きられなくなりました。
起きても、朝ごはんが食べられない、着替えられない、時間だけがたっていき、その日は休むという連絡をすると、少し気持ちが楽になる、というような状態でした。

②適応指導教室で仲間ができて
母も焦ったのか、不登校の子どもの行く場所を探してきて、秋には適応指導教室(教育支援センター)に行きはじめました。

そこは、教育委員会がやっている施設で、元教員の先生たちのもと、学校に戻れるように学習や登校支援をする場所でした。

学校でなくとも、行く場所ができたことで、親も安心したと思います。
私も、同年代の不登校仲間と出会ったことで、適応指導教室が居場所になっていました。
しかし、そこはあくまでも「登校」を「支援」する場所で、常にプレッシャーがありました。
「学校に行っていないってことは、サボってるってこと・・・。」と思っていました。

親からもプレッシャーはありました。
しかし、適応指導教室に入ってしばらくたつと、だんだんと親が勉強させることや、規則正しい生活をおくらせることをあきらめていきました。
それが、私にとってはとても嬉しいことでした。
後から、適応指導教室の親の仲間たちと、親の会を立ち上げて、その会で語り合うようになったからだとききました。


不登校の子を持つ同じ境遇の親同士で、悩みを話し合ったり、情報交換をするうちに、親自身の不安が消えて安心していったそうです。
親の会だけでなく、その親同士で、ランチに行くこともあり、母に他の趣味もあって、昼間はあまり家にいませんでした。
そのことが、私にとってはちょうどいい距離感でした。
昼夜逆転して家にひきこもったときも、親は特になにも責めてきませんでした。
ただ、ご飯を作ってくれて、こっちが話したいときに話を聞いてくれて、それ以外の時間は親がやりたいことを自由にしていたと思います。
ですので、私も家の中で、自分のやりたいことを自由にしていました。

③高校、大学に進学して今はフリースクールのスタッフに
中学卒業後、全寮制の高校に進学したので、親の元から離れました。
この進学先も、寮がいいと私が言ったので、適応指導教室の親仲間から、先輩が行った高校を教えてもらいました。
その後、東京の大学に進学して教員免許を取りました。


大人になって、フリースクールで毎日子ども若者たちと関わりながら過ごして、8年目に入ります。
不登校になったり、ひきこもったりもしましたが、楽しいと思える仕事に出会えてあっという間に時間がたちました。
これからも、不登校をで悩む親御さん、学校外で育つ子ども若者と関わっていきたいと思っています。

はらの(はらちゃん)

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